「版画1963829」 1963年8月29日

 

   私が、第二回「中部国展」に出品した「版画」(正しくは、版画の原版=「版画の素」)の内の一枚です。 第一回中部国展出品作は、著名な版画作家や著名な美術評論家に銅版画(インタリオ)だと錯覚させてしまいましたが、  この「版画」も、従来の版種とは大幅にずれていました。 実際の版の材質はシナノキの合板ですが、凸版ではなく凹版として活用しています。 現在では、このような版種を「木質凹版」と呼びます。  この版種に即した絵の具(インク)は、「ピグメントブラック」と呼ぶ染料系顔料を米糊と木工ボンドを適度な粘性になるように調整自作しました。  版画用紙は、昨年同様、 トランプに使うカード紙です。  ただし、今回は、あくまで凹版として仕上げました。 しかし、ここまででも随分、独創的なのですが、実は、ここから先が独創的の極みなのです。 通常の凹版のようにインクを拭き取ることをしませんでした。    更に、プレスの代わりを足がしました。 版と紙を馴染ませるために、この上で、麦踏のように踊ったのです! 結果は大成功! 不思議な凹版画が出来上がりました! と言っても凸凹が有ること判るだけの真っ黒な画面!   これでは、ガラスを被せたら、何も見えない、周りを映す鏡を展示することになってしまうため、この真っ黒な画面(凸凹が出来た紙の表面)を、純銀粉+和蝋でこしらえたチョークで擦りました。 これが、上掲の作品です。
上掲の作品をCG処理に拠って拡大スクロールしてみると、こんな具合な美術表現が出来ます。
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 上掲の作品は、100%、私が踊ったものですが、同時に作った何点かは、オーソドックスな版種を総合して同時制作していた下掲の1962年8月3日制作の版画のモデルを務めてくれてたマリアンヌが踊っています。  この時期の私は、「多種多芸」ではなく、自分が本当に為すべき仕事が、具象なのか抽象なのかのステージではなく、美術なのか、音楽なのか、文学なのか、哲学・宗教なのか、 人類文化言語学なのか、数理科学なのか、産業界転出かの名工業なのかが、さっぱり判りませんでした。  しかも、その全てのステージで、腐されたことが一度も無い、何をやっても人並み以上に誉められてしまう理解度と出来栄えに拠ってr、「この道一筋」、悪く言えば、「馬鹿の一つ覚え」の人を羨ましくさえ思っていました。  しかしながら、この時期から50年経って、振り返ってみると、この時期から、何事にも人並み以上に、とことんやって来られたことが、今の私と私独自の知財を形成していると信じられるようになりました。  このページ最後の写真撮影の約50日後、マリアンヌは、航空機事故のために、両親と共に亡くなってしまいましたが、この時期までの15年間、彼女と共に学んで来られたことが、今の私の礎になっていることは、疑うことのないの決して無い事実です。
 

1962年7月11日

 

1962年8月3日

1962年10月11日

 

「詩二片」 1962年11月1日

「ぽえじまぁじゅ6211」 1962年11月16日

「人生の反応(おとこいろとおんあいろ)」 1963年2月4日

「コンクリートホッパー」 1963年5月19日

「作品63520」 1963年5月20日

「ういういしいだれかに・・・」 1963年5月27日

 

「白い星と白い鳥」 1963年7月20日

 

「月の入り間近、星、一つ流れる」  1963年8月3日

 

Marianne 1963年8月17日

「人馬と小人・C」 1963年8月22日

 

「思いをつのらせ過ぎて・・・」 1964年1月1日〜1070年6月1日

 

Marianne 1964年1月4日

 
 
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