汐見坂から写した「大?津波」

初稿:2013年12月25日 最終更新:2014年8月30日
文責:  株式会社 イソップ  代表取締役  岩田 清 ( いわた・きよし=文責者=筆者)

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 フジ・産経は、朝・TV朝、毎・TBS、読・日TV以上に企業寄りですから、真実を求める方が、「どうかして居る」のかも知れません。

 しかし、『こう云うコンテンツにこそ、裁判に勝つ、「スペードのA」又は「ジョーカー」の様な、強力な情報が、彼らの「ミス・ポカ・早とちり・目こぼし」で、 残されて居るのではないか?』と思い直し、英国BBCの 「Inside The Meltdown」でも使われて居た、 福一原発「汐見坂」を逃げる作業員が撮影したと云われる動画に残されて居た「目こぼし」を掬い上げる事に成功しました。

 フジTVが、「3.11を忘れない」とのキャンペーンを悪用して、東電擁護の為の大嘘を吐いて居る「視覚証拠」の実例を紹介します。

 2011年3月末に初めて視た時は、全く気付きませんでしたが、3年以上も「ふくいち」と付き合って来た情報の蓄積で「通」に成った目で熟視した結果、 「とても重要な視覚証拠」を2件発見しました。

 
一つ目の「目こぼし」発見は、「津波実質高」です。
 『通常の海面よりも、どれだけ高かったか?』を注目した結果、津波第1波(海底を伝わって来た早い津波=「津波早波」)の「実質高」は、 南防潮堤の灯台付近では、僅か1mしか有りません!
 東電の『十数mの大津波に襲われた。』とのイメージは、何処にも存在しません。

 動画では、東電の要望に沿って、物凄い大津波に襲われ居るかの様に報じて居ますが、海面は、満潮数時間前で、平均水位より2m高く、 又、高さ5mだった防潮堤は、地震で1m沈下して居るので、防潮堤上面との差は2mであり、港湾開口部に寄せ来る津波は、此の差の半分しか在りません。 すなわち、1mが「津波実質高」です。

 暫くして、津波第2波(海面を伝わって来た遅い津波=「津波遅波」)が追い付いて、どうにか、南防潮堤の上面と同じ高さに成りました。
 これでも、2mの「津波実質高」です。 「十数mの大津波」には、程遠い「高さ」です。

 『えっ!』との声が出そうに成るのを、無理やり抑えて、更に注目すると、映像が、途中から不自然にズームアップされて居る事に気付きました。

 と、云う事は、『ズームアップされた事で「外れた(=視覚証拠隠滅された)」場所に、何か有る!』と閃いて、画面の右端を凝視しました。

 
二つ目の「目こぼし」を発見しました!

 画面の右端からも外れて居る「1〜3号排水口」付近で、防潮堤を乗り越える津波は、「実質津波高」3〜4mは有りそうです!

 此の事は、私が福一原発事故半月後に、既に、主張して居る『津波はプロセス建屋南側の道路から上陸した。』との説に完全一致します。

 福一原発に上陸した津波は、東から福一原発を襲ったのではありません! 南東から、「実質津波高」3〜4mで、 プロセス建屋南側の道路を主体(80%)とし、プロセス建屋北側と4号タービン建屋南側とを従体(各10%)とした、合わせて3箇所から、原子炉台地に上陸しました。

 此の上陸津波の、退き波(=返り波=戻り水)と、津波遅波の寄せ波とが合わさって、流れの向きを南からと変えた津波が、1〜3号機排水口から排水溝に進入し、 排水溝に入り切れない津波が、排水溝上と、南防潮堤を乗り越えて港湾内に入り、此の津波が、此の後、漂流タンク1基を載せて、 1号タービン建屋北側から原子炉台地に上陸したのです!

 次のGIF動画は、
  「漂流タンクを乗せた北側からの津波」が、
  地震の所為で「堤防」状態に成った1号タービン建屋北東側の変形十字路を乗り越えて、
  「南側から上陸して来て既に此処に到達して居た上陸津波の主流」と正面衝突し、
  「力の差!」で、
  「陸から海へ」と云う不思議な「大波飛沫」を上げて居る事を
「視覚証明」して居ます。
 GIF動画中の「@▲」は、「1号機北側道路上の大波飛沫」である事を示して居ます。
 南側から上陸した津波早波寄せ波の勢いの方が遥かに強い為に、「陸から海へ」と云う「不思議な大波飛沫」を上げながら、漂流タンクは、 1号炉建屋北側まで押し戻されて、私が藤色で示して居る活断層が動いた事で生じた段差(=断層露頭=Point C)に留められた事が、読売新聞撮影の、

2枚の写真を付き合わせる事で、良く判ります。

 「大波飛沫」の飛散方向と、2基並んだ「真水タンク」の「海側タンク」との関係角度で知られる「漂流タンク」の移動方向とが、 1〜3号炉建屋の「西面壁」と「南面壁」と「屋上」との関係角度で知られる写真撮影ヘリの動きよりも大きい事で、「漂流タンク」が、南から上陸して来た津波の勢いに敗れて、 この航空写真では、大波飛沫も立って居ない事から、海へ向かって、ほぼ無抵抗状態(=1号タービン建屋側から上陸した津波のエネルギーは消滅したと云う状態)で流され、 右側の写真で、私が藤色の活断層線で示す断層露頭(=Point C)で押し留められた事が、明白に視覚証明されました。

突合せ写真の左側の写真の全体像 <画面クリックで、6400×3783画素拡大>

突合せ写真の左側の写真の全体像 <画面クリックで、5120×3308画素拡大>

東電擁護のオリジナル写真も、40倍拡大では、2号炉と3号炉と稀ガス処理装置建屋の十字路も「池」であると判る!

 地震で「脳死(=廃炉状態に陥った)」の原子炉の、「生命維持装置」とも言い得る「非常用電源」喪失原因とされる、 原子炉建屋とタービン建屋の地下室水没は、東電が言い募り、朝毎読N等々が「迎合報道」した様な、 「海から直接」大津波に遣られたのではない事は、上掲写真の様に、朝毎読N等々が「東電主張に迎合して、視野調整して報道」した写真であっても、 確かな解析可視化処理に拠って巨大拡大すれば、「東電への迎合が、国民、強いては、地球市民が期待する、 「情報の信頼」に対する裏切り行為(=悪質な洗脳)であると判る物が写って居る場合が有ります。

 「海岸部よりも山側部分の方が深く地盤沈下した(=云わば、海岸部分の土地が堰堤の役割を果たした)」原子炉台地に、 数日間存在した「池」の「津波残り水」が、マンホールから配管経由で、原子炉建屋、タービン建屋、プロセス建屋などに流れ込んだのが、 「非常用電源」喪失の本当の原因なのです。

 上陸津波の大半は、10分も持たずに、「津波返り水」として去りました。
 しかし、海岸部が堤防状態と成る地盤不同沈下に因って「池」が生じ、此の「津波残り水」が、「プロセス建屋」、「放射能汚染固形物低温焼却建屋」、 「放射能汚染固形物高温焼却建屋」、「共用プール」、「原子炉建屋」、「タービン建屋」周辺の、マンホールよりも「津波残り水」の標高が低く成るまで、 各建屋の「地下室浸水」は止まらなかったと云う事実を知らない「脱原発論者」も数多く居ます。

プロセス建屋西側の道路上のマンホールにも、津波残り水が「渦を巻いて」落ちて居ます。

 フジTVは、『岩田が唱える「予知された地震・人災」説が、通説、定説に成れば、大口広告主としての東電を失い兼ねない事情が有りました。

 次の「富岡町の定点カメラが撮影した、福一原発を襲う大津波」のニュース報道が、東電に問題視されたのです。
 フジTVは、フジTVが放映した「富岡定点カメラの津波映像」を根拠にして、東電が言う「未曾有の津波・天災」説が、「未曾有の虚偽」である事を視覚証明されたら、 東電擁護派は木っ端微塵に砕かれて、大口広告収入源の東電を失ってしまう。』との危機的認識が有りました。

 それ故、仕方なく、「南防潮堤灯台付近に比べて、幾らか大きい程度の津波を、 ジャーナリズム精神と真逆の行為をした(=動画の視野から画面の右端部分を切り取った)のです!

 此の事情から判る様に、福一原発1〜4号炉を、「襲いかかった」と言い難い「津波実質高」は、「汐見坂を逃げる人々を撮影した時間では、
   プロセス建屋の南側の道路=4m。
   プロセス建屋の北側の付属設備=3.5m。
   4号タービン建屋の東側の南防潮堤の付け根=3m。
   東防潮堤の付け根=2.5m。
   南防潮堤の灯台=2m。
   東防潮堤1mです。

 此の津波早波寄せ波が退き波に変わり始めた頃、津波遅波寄せ波が追いついて、プロセス建屋の南側、北側、 4号タービン建屋南側から上陸した「津波早波の返り波」をも巻き込んで、南防潮堤を乗り越えて、標高5mの「タービン建屋台地」に在った重油タンク1基を漂流させ、 標高10mの「1号タービン建屋北の、原子炉建屋台地」に乗り上げたのです。

東電の浸水地図に、グーグルアースの3D機能で測った数値を書き加えると、こんな具合!

 海底が隆起したり、防潮堤が沈降したりで、3.11大地震に連動した直下型の地震に因って、激しい不同沈下が起きた事が、即座に認められます。

 しかし、東電が言い、NHKが悪乗りした『大津波がベターと襲って来た!』とのイメージの特徴は何処にも見出せません。

 彼らは理科的に津波を捉えて居るのではなく、算数的に津波を捉えて居るので、例えば、東電のE地点14〜15m(=グーグルアースで測ると11m)の小駐車場の車が、 津波で右往左往して居る所から、14〜15mの津波が来たと言い募る訳です。

2011年3月11日15時19分(=地震直後、津波直前)に撮影された「小駐車場」

2011年3月11日。 赤い車の内部から海水が滴り落ちて居る所から、津波が退いた直後に撮影と判る「小駐車場」

2011年3月16日の「小駐車場」 津波の頂が「小駐車場」のガードレールを超えなかったので、此の通り!

 津波が、高潮の様に、ベターっと襲って来たのであれば、地震の所為で1m地盤沈下したとしても、高さ1mのガードレールで差し引きゼロですから、 グーグルアースで測って判った小駐車場の路面の標高11mを根拠に、『遡上高11mの津波が襲った。』と言えます。

 しかしながら、津波は高潮と違って、普通の波に比べれば非常に周期が長いのですが、頂と谷とが有ります。
 更に、何らかにぶつかった後は、通常の波と大差ない頂と谷とが生じます。
 此の頂と谷との差が、多くの写真(静止画・動画)から、2m〜4m有ると見做せますから、これを考慮すれば、漂流タンクは、勢いで、 1号タービン建屋北側の「峠」を越えた津波に乗って、一度は、旧事務棟前の丁字路近くまで流れ込んだものの、南から押し寄せて来た津波に即座に押し戻されて、 活断層段差で押し留められ、結果、道路上で立ち往生したと云う事情が判明します。

 私は、「小駐車場」を、「予知された地震・人災」で、幾度も紹介して居ますが、『福一原発が死んだのは津波ではない。』との解説でも、「小駐車場」を撮った写真は重要な視覚証拠なのです。

 ですから、東電は、1ヶ月後には、此の場所に「健康管理センター」を建てて、証拠隠滅しました。

 「吉田調書」が公開されるそうですが、「政府事故調」は、「未曾有の津波・天災」の一つですから、私の「眼から鱗・・・は、絶対に無いと断言できます。
 由って、私は、大きな期待をして居ません。
 朝日新聞と共同通信との論戦を、冷徹に眺めようとして居ます。

東側から視た漂流タンク

西側から視た漂流タンク

 でっかいタンクですね!

 しかし、民間事故調や政府事故調が検証した程度の「津波力」だけでは、重油タンクが浮き上がる筈が有りません。
 又、漂流したタンクが、陸上で「立ち往生」する筈がありません。

 国会事故調では、伊東良徳さんが、懸命に頑張って下さったのですが、いかにも弁護士さんらしく、東電や政府のデータを精査されて、此の矛盾を論破されて居ますが、 東電や政府が出さなかったデータに就いては、調べられて居ない様です。

 けれども、間違いなく、道路上に「漂流タンク」が実存して居た事を「視覚証明」する写真が、多数存在します。
 此の大半は、伊東さんが、『東電は写真を隠して居る。』と訴求して下さった結果なので、此の点で、福一原発罹災者は、伊東さんに感謝すべきです。

 しかし、国会事故調は、『事故原因が地震である疑いは消えて居ない。』です。

 私の様に、『福一原発は地震で死んだ。
 津波は、むしろ、事故原因が地震である事を、証拠隠滅して居る東電を助けて居る!』とまで言う人は、他に居ません。


   「津波力」だけでは浮きそうにないタンクが浮いた「力の差」は、
  ベラボーな大きさの「地震力」です。


「地震力」が、2基の重油タンク基盤を破壊し、「重油タンクを基盤に固定する装置」を無力化した事が、真の元凶なのです。
 重油タンクを失って、 『此の結果が、「脳死状態」の原子炉の、「生命維持装置」として機能する筈だった「非常用電源」を喪失させた。』と考えるのが妥当です。


  最も勢い良く上陸した津波は、
  プロセス建屋南側の崖との間の道路の地下に生じた、
  地震活断層に因る地割れから、
  放射能汚染水タンク建屋南側のゴミ捨て場に流れ込んだ津波です。


 此の事は、東電が、伊東さんが『写真を隠して居る。』と指摘され、東電が渋々公開した写真に拠って確認できます。

 「私の指摘通り」=「東電にとって非常に不都合」と云う事ですから、「汐見坂」を逃げる人達を写した動画のオリジナルに写って居たであろう不都合な部分は、 フジTVに因って削除されたと云う訳です。

 ・・・ですが、私が、どうしても理解できないのは、『4号炉建屋から、命からがら逃げ出した。』筈の作業員が、 何故、共用プール南から、山へ、直接逃げるのではなく、「海岸通り」を、1号タービン建屋よりも北の、 小駐車場(=正式名称は、定期検査車両専用駐車場)まで歩いて行ったのでしょうか?

 『其処に車を止めて居たからだ。』との答えが返って来るのでしょうが、 それならば、『此処も危険だ!』と察すれば、逸早く車で脱出であり、 「汐見坂」を、「動画撮影しながら」、即ち、後ろ向きに坂道を逃げた事が、マトモな答に成ろう筈が有りません?

 元々、小駐車場付近に居た人が「汐見坂」を逃げつつ撮影した映像を、 『(実際は、好からぬ内職をして居た)定期検査中の4号炉建屋から逃げ出した。』と云う設定の男に、『想定を絶する津波だった。』と言わせる、 余りにも、ド下手なフィクションに、溜息が出てしまいました。


2011年3月15日夜の NHK World
TBS/JNN2011年5月7日未明
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